SiGMaの覚書

気が向いたら更新

まどろみと夢日記

 これは今日の午後のことである。遅めの昼食をたっぷり摂ってうとうとし始めた上に、昨晩の睡眠不足を補う必要もあって、私は横になった。そして怠惰な午後の時間がどれくらい流れたのか分からないうちに、ある体験が始まっていた。

 

 まず思い出されるのは、ノートに記された数式である。これはつい先日のこと、私が計算したある結び目のクラスに関係する不変量である。特に人に自慢できるような結果ではない気がしているが、研究は着実に進んでいた。私の専門は数学であるが、どいう言うわけか、とある物理学の教授が私の結果に興味を持ったらしい。それで、セミナーを開くから、そこで研究内容について詳しく話を聞きたい、とのことだった。なんとも不思議な感覚が生じた。物理関係者が私の研究に興味をもつのはそれほど不可解なことではない。しかしその教授が主催するセミナーはきっと物理学関係者ばかりだろうし、そんな空間に身を置いて研究を語ったところで、まともな会話が成立するのか不安になった。数学専門の私と彼らとは言語も価値観も大きく異なるはずだからだ。とはいえ講演を依頼されたのは素直に嬉しい。それで私はその依頼を承諾して、候補の日にちがいくつかあるので、具体的な日程を相談しようということになった。そうしていると候補日のひとつを提示するメールが送られてきた。なぜか開始時刻は日没後である。さらに不可解なことに場所は研究科棟1階のホールであった。こんな疑問をあれこれ詮索する面倒さに押されて、私はあっさりと提示された日程を承諾した。

 セミナー当日の夜になった。私はいつもの黒リュックに必要物一式を入れて、研究科棟の近くまで来ていた。学内の通りを、全員が同じ顔貌と格好をした異様な集団の塊が、日没後の闇から次々に姿をあらわしては闇に消えていった。やけに気味が悪いじゃないか。大学にはああいう属性の集団もいるのだと、はっとさせられた。

 研究科棟に入ると、既に大勢の人がホールにたむろしていた。20人くらいか。これにはさすがに驚いて少し後ずさりした。これほど人が多いものだとは聞いていなかった。数学関係者の前で講演するときはせいぜい5、6人くらいなのが普通だからだ。背もたれのない座席が並んでいるが、それも少し足りなさそうだった。ホールには一面ガラス張りの面があって、そこにスクリーンが掲げられ、プロジェクターの白く強い光に照らし出されていた。ガラス越しに外の景色が見える。地上はすっかり暗くなっても西の空には残光が残り、それを取り巻く濃紺に向かってグラデーションに染まった空。すぐに消えてしまうこの情景を目に焼き付けるように、私はしばらくの間ぼんやりと空を眺めていた。おかげでむさ苦しい人だかりの存在から気をそらすことに成功した。そうこうしていると、例の物理学教授がやってきて、よろしく、みたいなことを言ってきた。年配でおしゃべり好きな、感じのよさそうな先生で安心した。リレー形式で講演が行われるようで、私の前に別の講演があるらしい。これがやけに人数が多い理由であった。別の講演目的で集まった聴衆が多いのだろう。私は目立たない席に移動して、むさ苦しい熱気から逃れようとした。

 講演の開始時刻が迫ると、大きな集団が現れて聴衆に加わった。彼らから感じとられるのは、とてもアカデミックな場に似合わない騒々しさである。それが既に不快であった聴衆の熱気に加わって、この場は地獄と化した。もう帰りたくて仕方がない。床に向けていた視線を戻すと、その新たに加わった集団のなかに何人かの知人がいた。それも学部時代に同級生だっただけで、そのあとどこかに就職してもう顔を合わせることはなかろう、と思っていたような人ばかりである。一体なぜこんな場所に現れるのか。そのうちの一人が私を見つけて絡んできた。最悪だ。今まで何をしていたのか、それで何をしたいのか、というような詮索を次々に投げかけてくる。私は内心うんざりしていたが、多弁な返答でもってそれに対抗し、苦手な人間との会話で主導権をとられまいとした。私は正直なところほとんどの人間に対して興味などないので、わざわざ身の上話など聞きたくもない。にも関わらず、こうして自身のことを一方的に開示するよう要求されるのは、つり合いがとれない。このような非対称なやり取りは情報の搾取である。

 

 そんな具合で、大したオチもなくただ不快な気分になりながら私は目覚めた。そろそろ夕方である。なんとも虚無な気分である。夢が途中から不快さにまみれ、支離滅裂な展開になっていくのは、きっと身体が感じ取った午後の蒸し暑さを反映しているのだろう。せめて冷房を弱くかけておけばよかった。それにしても、私が人間を嫌う根本的な精神性が反映された夢でもあったとわかる。基本的に、人間がいればそこに不快さが生じる。異物という不快さである。これはもはや生理的次元の嫌悪感である。救いは孤立にしかない。記事を書き終わりつつある今、あたりはすっかり薄暗くなった。これから心地よい夜がやってくる。夜の暗さが世界の不快なものを覆い隠し、同時に私をも世界から覆い隠すのだ。こうして精神は落ち着きをもって深淵へと降下してゆく。ようやく生は充足感を確保し、存在論的につきまとう虚無から脱出する。